鳳鳴会会報 平成8年度第18号(平成9年3月1日発行)

ロックと虹と鳳凰山  鳳鳴25期 大間ジロー

1970年(昭和45年)春四月、僕は憧れの学び舎の門をくぐった。バンカラだとは聞いていたが対面式での先輩たちの態度はなかなか凄みがあった。休み時間ともなると今度は応援団が竹刀を持ってやってきた。五代儀団長の目付きの悪さにはまいってしまった。そして続いては、ブラバン(吹奏楽部)の登場である。

いまでも思い出す先輩たちのドスの効いた声…。「おい、ちょっと聞げ。んがんどのなかで中学校のどぎ、(ブラス)バンドやってあったやづ、立で。隠したってだめだ。ちゃんと調べてあるがらな。放課後、必ず部室さ来いよ。わがったな。待ってるがらな。」―。

何が悲しくて脅されてまでクラブに入らなければならないのかと思いつつ、自然と足は部室に向かっていた。着いたら最後、即強制的に入部である。担当はパーカッションとティンパニー。楽しく自由な高校生活を送るつもりが、入学して数日後には強制収容所?生活が待っていたのである。この学校は恐怖政治がまかり通るのか。

その頃のブラバンの体質は、もろ体育会系であった。先輩後輩のケジメにうるさく、三年生には直接話もできない風潮があった。僕は同期の中で一番先に目をつけられ夏の合宿ではヤキを入れられた。

旧態依然の古典クラシックと先輩たちの言動に猛烈に反発を感じた僕は、高一の秋ごろからロックを聞き出し、やがてバンドを結成しのめりこんでゆく。レコードは擦り切れるくらい聴いた。フレーズは譜面に起こして研究した。音楽雑誌に載っていた彼らの写真を飽きるほど眺めながら。ドラムセットのシンバルの枚数やタムタムの角度までコピーしていた。僕の音楽人生、すべてはここから始まった。

放課後、予餞会の練習と称して1Fの教室を占拠して毎日ばかデカイ音を出していた。文化祭ではグランドの真ん中に櫓を立てて演奏した。また、99円コンサートと題してアマバンのコンサートも主催したり活動は活発だった。

ブラバンの部活には顔を出さなくなる日が多くなり先輩にも何度も説教されたが、僕のロックへの思い入れはとっくに遊びの域を超えていた。エンジンはすでに回り始めており、もう止めようがなかった。マジだったのである。

高三の秋には、学校をさぼって日本武道館に世界最強のロックバンドである、レッド・ツェッペリンのステージを観にいった。いまとなっては伝説の日本公演と言われる彼らの生の姿と接した時に、僕の生き方は決まっていた。

それからというもの、彼らのフレーズたちがまるで魔物のように僕の頭の中を支配しだした。本物と遭遇してしまった僕は、「ロック」に恋い焦がれた。

高校卒業後は、まっすぐな志を抱いて上京。74年、東芝レコードから念願のプロデビュー。その後、悪戦苦闘しながらも76年にはオフコースに加入。3年後には正式メンバーとなり80年代の日本のミュージックシーンをリードした。

88年の解散ツアーではスタッフの小粋な計らいで大館のコンサートが実現できた。同学年の25期のメンバー総勢20人ほど応援に駆けつけてくれ、楽屋のひとつを占拠してしまった。うれしい悲鳴である。チケットはソールド・アウト。でもスタッフに頼み込んで全員を立ち見で会場に入れてもらった。同じ時代を過ごした仲間たちと最後のワン・ナイトを共有することができた…。

あの時、確かに僕はあの場所にいた。今はない小坂線。通学バスでの諍い。地獄の応援歌練習。野球部のノックの音。金足農校に負けた時の涙。妙にワクワクした強歩大会。トリを飾った文化祭のステージ。強かったスキー部。冬の薪ストーブ。ババの店っこ。チョロまかした飴っこ。「辞書もってこいよ」といつも言う川手センセ。「シャッポ被れ」とうるさかったツヨシ先輩。そして歴史に残る浅間山荘事件を見た食堂のテレビ。

思い出は尽きない。初めて吸ったハイライトも、がぶ飲みしたサントリーレッドも好きになったあの子と同じ通学列車で通ったのも、みんな鳳鳴時代だ。「ロックでいこう」と決めたあの日から、もう26年。いろいろなことがあったが悔いはない。晴れたり曇ったりの日々だったが自分自身の夢を大事にしてきた。あの学び舎から巣立ったものの一人として誇りだけは失ってはいない。

青春真っ只中の夏の日、雨上がりの空の下で鳳凰山にかかる虹を見た。僕はその時に果てしない夢をみていた。

写真はすべて小棚木 政之(WWWページ用に編集)

大間ジロー 本名・仁世(ひとせ)。小坂町出身。アマ、プロのロックバンドを経て、76年オフコースにドラマーとして参加。89年2月東京ドームでのコンサートを最後にオフコース解散。発表アルバム22枚、シングル36枚、ビデオ4本、会館規模のコンサート約800公演。代表曲は「さよなら」「YES-NO」「愛を止めないで」「君の住む街へ」など。現在秋田市を拠点に、ドラマー、音楽プロデューサー、DJ、エッセイなど幅広く活躍中。
◎エフエム秋田〜金曜夜7:00〜7:55「大間ジローのJ's SOUND BOX」
◎秋田魁新報社〜土曜朝刊にエッセイ「Jの宝箱〜Band on the Run」を連載(97年1月終了)
◎秋田県職業安定課〜「県内就職支援ソング」CDの作曲、編曲、音楽プロデュースを担当。

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