校歌の楽譜と歌い方の変遷/佐藤 信博(鳳鳴29期)
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3月1日発行の『鳳鳴会報』第22号に、以前から校歌について調査されていた29期の佐藤さんの報告が掲載されていましたので、ご紹介します。
在校中、校歌の吹奏楽譜の編曲の際、二拍子と三拍子が入り乱れる変な楽譜となり気にかかっていました。百周年を契機に、各時期の歌い方について聴き取り調査を試みました。(1)「いくしづく」がら「仰ぎて」に進む時、すぐ続けるか、一拍合間を置くか、〜現在の公式の楽譜(古い数字譜に基づく)では合間あり、昭和四十年代前後の公式譜では合間なし。(調査では、大正末〜昭和初めは合間あり、昭相十年代頃から現在までほぼ合間なし。(2)「蛍雪の」の「の」を何拍伸ばすか〜二種の楽譜とも二拍分。調査でも全世代ほぼ二拍。ただし一時期三拍(昭和二十年頃や百周年CD等)あるいは一拍。(3)「長木の流れ遠くゆく」の「ゆ」の音にシヤープ(#)をつけて半音高く歌うか、#をつけないか〜二種の楽譜とも#あり。調査では、大正末〜昭和初めは#あやふや、戦中〜昭和中期は#なし、昭和後期〜昨年夏は#あり。調査は今後も継続しますので、何か情報などお待ちの方には、御一報お願い致します。すでに、校歌についての御考察を寄せられた方もあり報告できればと思います。
100周年の式典の際、違和感を覚えたのはこういう事だったのですね!
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100年目にして校歌を考える/小棚木 政之(鳳鳴38期)
- 最近正調校歌についての議論が再燃しつつあります。
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- 100周年記念式典に出席された29期の佐藤さんから、「校歌の演奏が違っていると感じて調べたら、昭和30年代の演奏、歌唱方法を指導していたらしいと確認された」とお電話を頂きました。私は「どこか変だ」くらいしか思わなかったのですが、吹奏楽部(多分)ご出身の佐藤さんにはその違いが分かったのでしょう。(ヨ!違いの分る男!)佐藤さんは目下鳳鳴会報への投稿を準備されているとかで、吹奏楽部OBを中心に演奏について調査中だそうです。何かお気付きの方はメールをください。
- また、鳳鳴3期の土田哲さんが最近出版された自分誌『有為の奥山きょう越えて』(非売品)にもかつての「すさぶ」「あらぶ」論争の検証が書かれており、12月4日の北鹿新聞の一筆啓上欄にも以下のように掲載されました。
- 校歌といえば、かつての二番の「あらぶ」「すさぶ」検証がある。(中略)「あらぶ」「すさぶ」の他にも検証箇所があり、節目を機に学校側が「歌詞の定番を」と問題提起することになった。なぜ歌詞が問題になるのか。校歌の原本(現符)が現存しないためである。印刷物が時代によって違う。
- まとめ役の松山尚教頭の指摘によると-。今は歌われない四番の歌詞。「惟れ文惟れ武」(大正七年・鳳凰)が二年後の施設要項では「維文維武」。字も違うし送り仮名抜き。ところが訳万葉で有名な村木清一郎先生が昭和三十三年に書いたという校歌(額)には「維文惟武」とある。「なぜ維と惟を使い分けたのか」と松山教頭。さらに書は二番の「人世風は」が「人生風は」になっている。現符を見た事があるという松江長成氏は「保存がしっかりしていれば…」と悔しがる。検証箇所は他にもある。たたき台を示した学校は、検討委員会を作り、百一年目の課題として「決定版」をつくりたい考えだ。
- 学校が検討委員会を作り、校歌決定版が出るのが楽しみです。
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裏校歌/小棚木政之(鳳鳴38期)
裏校歌の存在はどこの学校にもあるかと思います。(あるかな?)鳳鳴の裏校歌も70年代か80年代前半の『鳳凰』で確認しています。裏校歌に関しては数人の方から情報が寄せられました。
- 1. 狭い日本にゃ住み飽きた 海の向こうにゃ陸がある 人生航路に身を託す
- ※おいら鳳鳴の愚連隊 ああいかれたる我が姿
- 2. 流れ流れて袁州の 歩く姿軟派でも 心にゃ硬派の血が通う ※くりかえし
- 3. 波にさらわれ呑まれても 一度暗い世の中へ 軟派の象徴盾桜 ※
- 4. かわいいあの娘にふられても くよくよするよな俺じゃない 明日は明日の風が吹く ※
- 5. 女ひっかけて何になる どうせおいらの一生は 酒と煙草にゃ縁がない ※
- 6. 勉強したって何になる どうせおいらの一生は 畳の上には縁がない ※
- 7. 俺が死んでも嘆くな彼女 花や線香じゃ浮かばれぬ 酒と煙草を据えてくれ ※
- 8. 酒と煙草はやるけれど 心の底までぐれてない 青春路上を突っ走る ※
- 9. けんかしたって何になる 殴られ蹴られたその後は 悲壮な姿で立ち上がる ※
- 10. 親も先生も糞食らえ おいらはおいらの道を行く 秋は枯れ野の草枕 ※
- 11. 鳳鳴鳳鳴というけれど 鳳鳴にゃ血もある涙ある 明日の空には夢がある ※
- 12. 勉強勉強というけれど おいら悲しい受験生 夜も蛍でお勉強 おいら鳳鳴の金次郎 ああ二宮金次郎
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- 藤田 司さん(鳳鳴34期)悪名高い、鳳鳴34期の藤田です。
私も予餞会で腐った卵を投げた一人です。後輩諸君には気の毒なことをしたと、反省しております。 ほとんど断片的にしか覚えていなかったので、この「裏校歌」の掲載は、大変うれしく思います。
元歌は、確か軍歌か何かだったと思います。一番の歌詞の「人生航路」が元歌では「満州航路」だったはず… 。「遠州」というのも、そこいら辺からきてるのかなと思ってましたが…。
- 私がこの歌を知ったのは、確か2年のときの体育祭でした。当時の3年生から「応援歌」と称して、わら半紙で配布されたと記憶しております。
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- 五十嵐 洋さん(鳳鳴35期)例の第二校歌の歌詞を書いた藁半紙は実は持っています。たぶん応援歌練習で4番まである歌は4番までやるといったハードなことをさせられたのは、私の代まででしょう。確か昼40分放課後2時間を10日間やらせられた記憶があります。私の所持するテープの中の第二校歌は別な歌詞が一つあって、小林 功征さん達の代の先輩が加筆したものでしょう。
『すてすて節』について/工藤 真範(鳳鳴24期)
新校舎と旧講堂・旧図書館を結ぶ廊下の中央にあったアンモニア臭のする木造トイレ(もちろん男子トイレ)の大きい方のひとつにとある落書きがありました。これは一体?
「すてすて節を教えて!」
「ああ、すてすて」
- この件については、自分が作ったという24期の工藤 真範さんから以下のようなメールを頂きました。また26期の辻(室屋)美代子さんからも確認のメールを頂いています。
私が鳳鳴3年在学時、鳳鳴祭と卒業謝恩会時に私と私のラグビー部同期で同級生でもあった田村省三君(現東京在住)の二人で余興の唄を作って披露した事がありました。鳳鳴祭では【鳳鳴グリグリソング】、謝恩会では【鳳鳴シテシテ音頭】を発表して、どちらも自分で言うのも何ですが結構好評を博したと記憶しております。
以来この二つの唄は暫くの間(10年位は続いたと記憶してますが・・)ラグビー部の後輩に歌い継がれておりました。それが訛って【ステステ節】になったのではないかと推察します。
因みに【鳳鳴シテシテ音頭】は秋田音頭の節回しで、下記の歌詞でした。(記憶が定かで
ありませんので、正確ではありません)
- ♪ ハーア シテシテ
- 秋田県内高校ご紹介
- 秋田高校・秋田商業・秋田北高だ
- 能代高校・能代商業・能代北高だ
- 大館鳳鳴・大館商業・大館桂高
- 秋田北高は・・・・(女子生徒の氏名を何人か挙げる)
- 能代北高は 〃
- 大館桂は ・・・・(女性の名前だけ沢山挙げる)
- ハーア シテシテ
- (一)
- 鳳鳴の便所は火事でもないのに煙コ立ち上る
- ハーア シテシテ
- ナシタと思って一年コ覗いたば 三年コにどやされた
- ハーア シテシテ
- (二)
- 八幡神社でのろしコ上げたば 先公にとっ捕まった
- ハーア シテシテ
- 一升たなって謝まに行ったばって やっぱり停学だ
- ハーア シテシテ
- (三)
- 大館鳳鳴名門てひるばて いいのは門ばかり
- ハーア シテシテ
- 便所は汚ねし 廊下は落ちるし 天井は煤(スス)だらけ
- ハーア シテシテ
- ここまで何とか思い出しました。もっと何番かあったはずですが思い出せません。
校歌の謎/小棚木 政之(鳳鳴38期)
- 100年も経つと色々な謎が出てきます。
- 私が聞いたものでは、2番の「♪人生風はあらぶとも〜」の一節、「♪人生風はすさぶとも〜」と歌う学年があるといいます。(よって鳳鳴会では不協和音になるとか)
- 確かに漢字にして「荒ぶ」と書くと「あらぶ」とも「すさぶ」とも読めるのですが…。
- この謎に関する情報をご存じの方はメールをお願いします。
- また吹奏楽部が校歌を演奏する事に関し、楽器毎の楽譜は存在せず先輩から後輩へ音だけで引き継がれる…と聞いたことがあり長年疑問に思っていたところ、吹奏楽部の早坂 夏樹(鳳鳴44期)さんからメールにて回答を得ましたのでご紹介します。
(^_^;) 歌ならともかく、吹奏楽ではちょっと無理がありますね。たとえ楽譜がない場合でも、音を聴いて楽譜を起こせる人間がたまにいますので(私もそうです)、そういう人が楽譜を起こしているはずです。
- 校歌については、パート譜はほとんどあります。一部欠けていたものについて、私が作ったものもありますが。ただ、スコア(指揮者用総譜)がなかったので、私が2年の時に各パートのパートリーダーに書かせて作った覚えがあります。古い応援歌については、これも私が2年の時に総譜が楽譜棚から見つかりまして、それを元にパート譜を作りました。「北辰天に」など運動部ごとの応援歌についてもいくつか楽譜があったと思います。
- 校歌の謎といえば、変拍子の謎がありますね。「源は谷間の幾しづく」まできて、「仰ぎて掬みて蛍雪の」にいく前に、昔は休みが一拍あったのですが今はこの休符はないというものです。休符があると、最後まで四拍子のままです。休符がないと、これ以後は三拍子と二拍子が入り乱れることになります。どちらが正しいのか、今では定かではありません。個人的には変拍子の方が好きですが。
こういう後輩が歴史を支えているのかもしれませんね。^_^(その影に歴史を葬り去った先輩がいたりして…)