鳳鳴について書かれた本や、遠回しに描かれている書籍・漫画をご紹介します。
90年誌206ページにも紹介されている、『母校賛歌 わが青春の大館鳳鳴高校』(毎日新聞秋田支局刊)は大中から鳳鳴に変わる時期のことについて詳しく書かれているらしいのですが、まだそのものを確認していません。鳳鳴28期の成田信昭さんが毎日新聞秋田支局へ問い合わせ、好感触だったようですので公開されるのを待ちたいと思います。
昭和62年の直木賞作品『それぞれの終楽章』(阿部牧郎著 講談社刊)はそれこそ大中から鳳鳴に変わる時に在学した主人公の物語です。
「奥羽本線のO駅へおり立った」「O市は人口七万人である」これだけでO市が大館市であることが誰にでも明らかですね。「勝利を告ぐる閧(とき)の声エ そりゃあ。 応援団の幹部の一人がそりかえって、夜空に向かって咆哮した。五百名ばかりの下級生はいっせいに腹を突きだし、声をふりしぼってうたいだした。」この辺は私が在学したころとあまり変わらないような気がします。(なお最近の卒業生によると、応援歌練習で反り返って歌うことは無くなったとか。)
この作品の中に登場する人物、固有名詞は大館にゆかりのある方ならばピンとくるかも知れません。(なんと狭い街でしょう;;)先ず主人公は文筆業の矢部 宏(因みに著者は阿部さんですね)、そしてこの街最大の文房具店京文館の息子、辻島裕平。(因みに現在大館で一番大きな文房具店は、昭文堂。御主人は鳳鳴会会長の藤嶋省平氏。)作品中、服毒自殺した税理士森山隆之。料亭経営の坂井達夫。同世代の方は○○の××のことだ、とか言われるのかもしれませんが、その辺の詳しい事情は知るよしもなく先ずは一読をお勧めします。
この他、山岳部の岩木山遭難をネタにした、『ある高校生の冬山遭難』(確か山と渓谷社刊)がありますがこれは鳳鳴高校発行の遭難誌をベースにしたとものと思われます。
なんか私だけ書き込んでいるみたいですね^^;
平成9年3月1日発行の『鳳鳴会会報 第18号』に元オフコースのメンバーの大間ジローさん(鳳鳴25期=本名・大間仁世)が『ロックと虹と鳳凰山』という在学中のエッセイを寄稿されていますが、その中に「あの時、確かに僕はあの場所にいた。…冬の薪ストーブ。ババの店っこ。」え?ババの店っこ?当時は「ババショップ」ではなく、「ババの店っこ」と呼んでいたのでしょうか?諸先輩のご指導をお待ちしています。
私が在学した昭和58年から61年は既に現在の新校舎になっており、グランドにあった?(グランドに売店がぽつっとある訳はないので、多分現在のグランドの場所にあった、の誤りだと思いますが)噂の「ババショップ」は無く、正門前の小さい店が「ジジショップ」と呼ばれていました。しかし、その店に入ると出てくるのはおばちゃん。確かセミナーハウスの食堂と同じ人だったような気がします。セミナーといえば、厨房の中におじさんがおり、(おばさんと夫婦かどうか不明)もしかしたらこの人が「ジジ」のオーナーだったりして…と考えています。この件について詳しい方、親戚の方はメールを下さい。(その後の調査で、以前の運営は正門前の高橋商店で、現在は他社が運営しているそうです。ババショップの由来のおばさんは、最後のおばさんのお婆さんのようです。その息子さんが、”ジジ”の由来の方であり、実に3代に渡って鳳鳴生の胃袋を支えて頂いたようです。ただこの件に関しては詳しい調査を継続致します。)
このセミナーハウスは3年生が殆ど占拠しており、下級生が入ろうものなら水汲みだけで昼休みが終わってしまうのではないかという感じでした。(といっても食べにいくのはいつも3時間目が終わった10分!)食券をカウンターに差し出そうと殺到する先輩に圧倒され、「押忍!先にどうぞ」と次々に出来上がってくる饂飩を先輩に譲った結果、最後には何も残っていなく悲しい思いをした事もありました。そう、あの時僕は確かに食券を出していた。
また朝お願いしておけば、別料金ながら天丼、またはカツ丼を作ってくれるという噂を聞いたことがあります。)