| 34期の高坂さんの「文化祭の思い出」について当事者の松橋さんから以下のようなメッセージが届きました。ありがとうございます。
あの当時の文化祭のお化け屋敷を覚えてくださっている方がいるとは、思ってもみませんでした。 |
文化祭の思い出/高坂 豊(鳳鳴34期)
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自分がまだ小学校の頃(昭和50年前後)、鳳鳴は木造校舎だったのですが、ちょうど10月〜11月ごろに文化祭がありました。 その文化祭でなによりも楽しみだったのは、何箇所(クラス)かでおこなわれている「お化け屋敷」でした。建替え直前の古い木造校舎だけに、窓に暗幕を掛け、青臭い枝葉や稲わらを古木のきしむ教室中に敷き詰め、線香と読経を流せば完璧なアトラクションでした。 真っ暗な教室内を迷路仕立てにして歩いていくのですが、途中で幽霊のメイクした人がでてきたり、急にこんにゃくで顔をなでらりたり、あっちこっちで悲鳴がしたり泣き出したり、とてもとても楽しかった(?)ものです。 毎年 2・3クラスで催していて、行列ができて入場制限されていました。自分も鳳鳴に入ったら絶対やってみようと思い入学したのですが、入学した翌月には木造校舎はとりこわされ、夏休みすぎにはぴかぴかの真っ白い校舎に替わってしまい、お化け屋敷とは程遠い白亜の校舎になっちまいました・・・ それでも1年の時のクラスのアトラクションでは 不思議な映写会(喫茶)をやったような気がします。 高坂さん、貴重な思い出をありがとうございました。木造校舎の頃のお化け屋敷では、床板を剥がしたりしてまで複雑に作り込んでいたらしいですね。一生懸命打ち込む鳳鳴生の姿はさぞ美しかったことでしょう。。なおその木造校舎を解体する際、壁板の中から大量の吸い殻が出てきたそうですが、喫煙マナーの出来ていない先生が多かったのでしょうか。ダメですね。 |
伝説の予餞会、その実態/高坂 豊(鳳鳴34期)
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34期の高坂さんから、伝説の?予餞会の詳細が入りましたので、ご紹介します。
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予餞会のお菓子『黒鉱』/加藤 紀彦(鳳鳴34期)
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最後の予餞会/兜森(鳳鳴35期)
伝説の予餞会について噂を元にメールで伺ったところ、35期の兜森さんから次のような回答を得ましたのでご紹介します。(なお「予餞会」の意味をご存じない方は、たまに辞書で調べてみてはいかがでしょうか)
私の記憶を話します。最後の予餞会は34期の人が3年の時にやったのが最後です。私が、2年の時で、なくなることは3年になって学祭の直前になくなったことを聞いてショックを受けた記憶があります。そのころ、水泳部のむささび?※で入場し、アカペラの出し物をしてました。その後だったと思います。ラグビー部の出し物が下品(先生にはそう思えただけか)だったためと聞いています。エンディングは、恒例のバンカラ有志で裏校歌を歌うのです。10人くらいで舞台に上がり、ソロで”狭い...”と歌い、全員で”おいら鳳鳴の愚連隊..”と歌うのです。私も、仲間とやる予定だったの?
この辺のことは、35期の阿部淳も知ってる話です。
※編者註:”むささび”とは水泳部に伝わる伝統的芸能なり。全裸で前を突き出すように、「む・ささび、む・ささび」と言いながらジャンプしながら前進する(らしい)。縁起・出典は不明。
この激動の予餞会を体験された方、「むささび」を実演できる方メールをお待ちしております。(「むささび」はビデオなどに記録・保存したいと思うのですが、万が一撮影に成功したとしても公序良俗に反するようなので公開は創立200周年まで待ちたいと考えています。
また予餞会用に卵を腐らせた方、ニッテン先生のスキー板でマヨネーズの上を滑った記憶のある方、床に落とした納豆を食べたことのある方、牛乳を口に含んでいかがわしい芸を披露した方もメールをお待ちしております。(これらはあくまでも噂であり、これらが原因で予餞会が廃止になったと聞いています。また鳳鳴祭の最後の後夜祭を体験した方、廃止の原因も調査中ですので今すぐメールを!。)
”裏門”をみて気づいたのですが、最後の後夜祭というのは、もしかして私が1年の時のあれのことでしょうか?もしそうならばそのすべてを納めたカセットテープを所持しています。音質はひどいものですが、生録なのでしかたありません。たぶん放送部の友人にダビングしてもらったかと思うのですが、さすがに17年もたつのでその記憶すら定かではありませんが、確かなことはそのテープがあるということだけです。
再度済みません。いま、裏門を読み直してみると最後の後夜祭が、私が2年のときの小体育館でやったものらしいと気づきました。そう、あの年武道館を取り壊した後に現在の小体育館が完成したのです。すると、このテープに入っているのはその前年に古い大体育館でやったものだということです。
「むささび」について私が本当のことをお教えしましょう。
かく言う私も,第二校歌を歌った一人です。歌うバンカラたちは,援団室で一升酒を歌う奴らで回し飲み干し、一本のタバコを回し吸いし,気持ちをあらぶらせて壇上に上ったものでした。その時写真部が取ってくれた写真がモノクロで残っています。
やはり噂通りのもので、ホッとしました?さすがは伝統の水泳部です。プール関係の話しとして他に、「おみき渡り」なる行事が私の在学中にありました。それは冬の間中プールの水を抜かず凍らせ、春先の溶けかかった頃に各部選抜の1年生が度胸試し(強制)でその上を渡るというものです。
予想通り氷は割れ、1年コは水の中に…。山岳部がザイルで救助を試みるも、掴もうと力むとまた氷が割れる…。1年生は唇が紫色になり、歯をがたがた震わせるだけ。また水泳部の1年生は「桂健児ここにあり」と?いつものスタイル(水泳部の正装)で粗目状の氷のプールへ飛び込み。さすがに泳ぎきったものの、上がって来る頃には体中生傷だらけでした。今では出来ないでしょうね。私たちの時もバレー部の田村先生に見つかり蜘蛛の子を散らすように逃げ、多分その後はやってないと思います。
また受験を終え、暇になった3年生が雪が積もる中庭で、水泳の真似をしていたのを覚えています。私が目撃したのは37期の明石 宏康さんで、彼は『中庭寒中水泳伝承者』を自認しています。
37期の方で、夏に「暑い」といってそのまま制服のままでプールで泳いだ女性がいたのも思い出しました。